気まぐれ日記 その17

優先順位・・・をよく考えてみてね。
 2016,3.7 


優先順位・・・をよく考えてみてね。
体のこと、心のこと・・・。
考えてみたら、一番はこれ 二番はこれ 三番はこれ
と見えてくると思います。
 
 あなたが不十分だと思っても、すべて主の贖いはそれを
買い取りとりすべて完全なモノにしてくれます。
 
 贖いは、あなたが主に従えば悔い改めれば
あなたの罪や不足分をすべて補って100パーセントにして
罪のない完全な状態にするためあるのですから・・・。
 介したい内容を書きます
この世に心が向いている人は・・・
 2016,3.7

 昨日。。。ある求道者と話しました。
私は聖霊を感じて何度もそのことを宣言しましたが
彼はそれを認めようとはしませんでした。

 私はウソを言ったのかなと・・・目をつぶり
短いお祈りをしました。

 その時に・・・。
「この世に心が向いている人は神聖なことは理解出来ない。」
 という言葉が瞬時に浮かんできました。

私はそれを聞いて間違いではなかったと安心しました。
 信仰を失う原因・・・。
  2016.4.30

 信仰を失う原因・・・。

 それは「心に不安」を感じることからはじまる。
そして「信じるていることを疑い」はじめる。
それから「逃れることが出来るならば信仰を失って
しかたがない」と考え始める。

最初の原因は・・・
 友人関係かもしれないし・・・。
 金銭的なことかもしれな・・・
 病気かもしれない・・・
原因はそれぞれだが・・・信仰を失うプロセスは
変わらないと思う。

サタンの力は・・・
  2016/04/17

 そう、サタンの力の元は知識です。
前世での知識を消されずに現世でももって、地上にきていますから・・・
 それから、彼らは(サタンと彼に従う霊は)死なないら・・・
この世の歴史の知識をすべてを知っています。
 人の歴史や金や銀や尊い鉱物のありか・・・お金の儲け方。
人の扱い方・・・
ありとあらゆる人の知識をサタンと彼に従う霊は知っています。
 
 おもしろいことに、サタンと彼に従う霊たちは新約聖書の
中で、イエスキリストを救い主だと何度も「証」しています。
 彼らにとっての悔い改めの期間は過ぎ去り、
もう、悔い改めの出来ないでいる環境にいるのにね。
 
 極端な話をすれば、あなたの家の前で死んだ人がいるとして
その人が、昭和何年の何月何日どのような状態で死んだのか知っています。
 人は世代が変わって忘れさられても、彼らは死なないから忘れないのです。

 だから例えば、サタンに従う霊はその情報をスピューチャルカウンセラーの
江○さんみたいな霊能者に伝えて、そこで起こる霊的な事の解説をして
霊的な力を持っているようにふるまわせたりして・・・
 人びとの関心と人気を得させます。
 
 まぁ、よく考えてみるとその霊的な事もサタンの霊たちの自作自演なの
ですが・・・ だって、そこで死んだ人は霊界に行っているのですから。
霊界はこの世の影響を受けない場所ですから、彼らが無暗やたらと
現世にはこられないのですから・・・。 唯一、霊界に行った霊が
現世に来られる方法は主の了解を得て人に現れるだけ・・・。
 そして、そこには栄光が伴うのでサタンや彼に従う霊の現われとは
違うのがわかると思います。
 
 人びとの関心と人気が出た霊能者は、サタンと彼に従う霊の操り人形に
なっていきます。
 その霊能者は、ますます富と名声を得て・・・自分は特別な霊能者だと勘違いして
行きます。
 まるで、モルモン書のアルマ30章のコラホルのようですね。 
 
 だから、サタンとサタンに従う霊の力の源は知識だと私は思っています。
彼らにとって・・・はこの世の富も地位もまったく意味のないものだと
知っています。 彼らには肉体がないのですから・・・。
 あるのは、肉体を持つ人には効果絶大だということ・・・。 
 
 
信仰って。。
 2016/05/15 

信仰って。。。
あるようでなくて
ないようである。
 
 雲をつかむようですね。
 
 でも、教会のこと神様のこと・・・
いつも考えていられるのだから
きっと、信仰はあるんです。
 
 あ、これだと思ってしがみついてみたら
しばらくしたらなくなっている。
 
 おそらく、私たちの意識とか考えとか
思いとかが・・・ちょっとづつ成長しているから
これではなかったと思うのかな?
 
 でも、教会を離れないからあるんですよ。
心のどこかにきっと・・・ね。
 
 最近、神殿を・・・
   2016.5,22

  最近、神殿を・・・
 テーマパークのアトラクションだと思っていませんか?

 
 リアホナ 2016.5月号 総大会号  p118 
     「神性の力」 ケント F リチャーズ 長老の話を読んで。
イエスの贖いの力
 2016.9.26

人それぞれ・・・人生も歩んで来た道も人それぞれです。

良いことも・・・
悪いことも・・・


 本人は知っています。
それで、自分を嫌いになる人もいるでしょう。
そして、自分を苦しめ続けるのかもしれもせんね。


 でも、その人の周りの人はその人を裁いたり
偏り見てはいけないと、私は教わりました。


 普通に、接してあげれぱいいです。と言われました。


 主イエスキリストの贖いを信じれば、主がそれを
背負ってくれます。
 でも、贖いを信じなければすべて自分でその責任を
自分で背負い続けなければならないてのです。


 罪は、この世を去ってもその代価を支払い続け
なければならないのです。

 でも、その人が永遠をかけても支払い切ることはないと
主は教えています。

  罪を贖えるのは主イエスキリストだけです。 
神殿の日の栄の部屋。
  2017,2 ,5

  神殿の日の栄の部屋。
主とお話をしたとばりをくぐり抜けると大きく
て豪華なシャンデリアが目にはいる。

 そして、格調高い椅子や家具が置かれている。
この部屋に入ってきた人びとは
ある人は椅子に座り
ある人は立ちながら思い思いの場所で
しばしお祈りをしている。

 ここは、地上で神様に一番近い場所。



  この部屋の壁に掲げられている一枚の絵。
イエスキリストの再臨の時を描いた絵。
等身大よりやや大きいかもしれない。

この部屋に入ると私はこの絵をじっと見つめる。
 見つめていると、いつもある事を思い出す。

私のインスチュチュートの先生の証を・・・。
 「日の栄の部屋のイエスキリストの絵の前で
  いつも涙します」
  と、言われた言葉。

 同じ儀式、そして同じ場所に立って、
あの先生はどれほどイエスキリストのこの福音を愛し、
そしてどんな思いで神殿の儀式を受けてこの部屋に
入ってくるのか、といつも考えます。

 そして、「また、会いましよう」と言って歩き始めます。
神殿別館での出来事。
  2017.2,5 

  何年か前の神殿の別館で朝食をとる
   ご夫婦を見ました。
     どこかで見覚えのあるお顔だなと・・・
       しばらく考えてふと思い出しました。


  30年前の伝道地で出会ったご夫婦でした。
    私は隣のテーブルに座り、食事をとりながら
      タイムスリップしていました。

  そして、胸のあたりをさすりながらネームタグを
    つけた宣教師に舞い戻ったようした。
 

 テーブル越しに見るご夫婦・・・
   会い向かいの席に座りコンビニで買われた
     お弁当を食べていました。

 もう、何十年もこのように過ごしてきたんだろうな。
   そして、時々は意見の食い違いでケンカもしたのかな? とか、
      私の知っているお顔よりも老けている姿から
       勝手な想像が広がって行く。
 

  向かい合って座る二人は別に何かを話している
   わけでもないのですが・・・
     なんだか見ていて幸せってこうゆうことなのかな。
        なんて思いが浮かんできました。

 以前、ラジオで読まれたお葉書。
   大病を患った旦那様が入院。
     そして、生死をさ迷った末に、今は元気に家に
        戻ってこられた出来事を短く書かれた
          奥様がこんな言葉で締めくくっていました。

     「・・・今はそばにいてくれるだけでいい」
      そんな境地にいるのかな?とも、思っていました。

  神殿での夫婦の結び固めは永遠に一緒に
    いられるようになるという約束。
      長い間、この世で一緒に生活してきた部分は
        もはや日の栄の王国の一部なんだろうなと
          気づくことの出来た再会でした。


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