気まぐれ日記 その15

ルカ18:18−23  奉献の律法
 2013.8.18

 あなたはこの聖句をどのように思いますか?  

 また、ある役人がイエスに尋ねた、
「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

 イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。
神ひとりのほかによい者はいない。
 
  いましめはあなたの知っているとおりである、
 『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、
父と母とを敬え』」。 

 すると彼は言った、「それらのことはみな、小さい時から
守っております」。

 イエスはこれを聞いて言われた、「あなたのする事が
まだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、
貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を
持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 

 彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。
大金持であったからである。 
            (新約聖書 ルカ18:18−23 )

 今まで、この聖句を読む度に・・・イエスに従った使徒
ペテロ、ヤコブ、ヨハネをはじめとする12使徒の従順さを
思い出してきました。
 彼らは、それぞれの職業をイエスに召された時に
その場で何もかもを捨てて従ってきたからである。

 この役人である青年も、イエスの声にその場で従えば
イエスにより大きな責任に召されていたのかもしれないと
思うと・・・信仰の薄い私はわが身に置き変えると、ふと、
自分のことではないか?と色々と考えてしまうのです。

 それだけでも、この世にまだまだ愛着のある私にとって
「それではいけない」という戒めの聖句になっているのですが、
 先日、この聖句を読んでいる時に聖霊に囁かれました。

 この聖句には、日の栄えの王国(天国)に入るための
大切な教義が隠されている事を教えられました。
 
 『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、
父と母とを敬え』」。 
  の戒めはモーセの十戒を表しています。
 これは、アロン神権の教えです。
モーセの民がエジプトを脱出した後に、モーセは民に
メルキゼデク神権を得られるようにと備えさせていたのですが
残念ながら、民は頑ななで強情な民であったために
メルキゼデク神権が得る事が出来なくてアロン神権の教えを
お与えになりました。

 イエスはこの聖句を引用する事によりある律法を
この役人である青年に教えられました。

 「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているもの
をみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。
  そうすれば、天に宝を持つようになろう。
 そして、わたしに従ってきなさい」

 この言葉で教えた律法は「奉献の律法」です。

 新約聖書の福音書を注意深く読んでいくと、次の事を
理解する事が出来ます。
 
 イエスはモーセの時代に失われたメルキゼデク神権
を回復するために働かれていた事がわかります。

 ペテロに神権の鍵を授けて、メルキゼデク神権によって
管理する教会を組織されました。

 その教会は、この世では一番日の栄えの王国(天国)に
近い存在として建てられた教会です。

 そして、そこには幾つかの律法が存在するのですが
その一つに「奉献の律法」があります。
 その律法を守って生活する必要があります。
 
 「奉献の律法」を末日聖徒のモルモン書の合本の後ろの
聖句ガイドを引用して説明すると

 「神の王国の建設と確立のために時間や財産を進んでさ
さげるという、神から与えられた原則である。」

 と書かれてます。

 この奉献の律法はメルキゼデク神権に関する律法で
より高い従順さを求められる律法であります。

 イエスはこの役人である青年に、アロン神権の律法よりも
より高い教えである「奉献の律法」をお教えになったのです。

 
 末日聖徒の歴史を振り返ると、ジョセフ・スミスの時代に
「奉献の律法」が行なわれましたが、当時の聖徒との不従順さで
取り去られました。
 そのかわりに、今は「什分の一」の律法が与えられています。




神権の鍵 
  2013.8.26

 ここ数年、教義と聖約の110章に書かれている
「神権の鍵」なるものはなんなんだろうと考えてきました。

 いろいろと考えた末に自分なりに納得した答えは
このようなものです。

 ある時、教会のドアの鍵穴に鍵を差し込んだ時に
ふと思いつきました。
 
 まず、教会の鍵を持てる者はビショップから
何かの責任者に召されなければならない。
 そして、その鍵を持てる者は必要に応じて・・・
鍵を使いそのドアを開け閉めする事が許されている。
 
 しかし、開け閉めは出来るが・・・
 



レーマン人とニーファイ人の服装の違い
  2013.9.1

 そう。レーマン人とニーファイ人の服装の違いはなんでだか
しってる?
 レーマン人はほぼ裸(アルマ3:5) それに対して
ニーファイ人は服を着ていたこざっぱとした服装(アルマ1:27)
 この違いはなんででしょうか?
 
 それは、ニーファイ人はメルキゼデク神権で管理する神殿を持っていて
生者のためのエンダウメントをしていて、そこでガーメントを
着せられているので隠す必要があったからだと私は思います。
 
 アメリカの中南米は一年中夏みたいだからレーマン人のように
ほぼ裸でも生きていけるんですね。



真っ直ぐな一本道
  2013.10.21
 
人生は主のもとに帰るための一本道・・・
だけど、通る場所は花畑であり
いばら道であり
険しい山道であり
はるかに谷底が見える道であるかもしれなけど
道を外れない限り主はその道は安全だと
教えてくれた・・・。
 さぁ、よそ見をしないで歩きましょう。



幸せ
  2013.12.18


昨日・・・久々に外食して・・・。
親子三人で・・・テーブル囲んでね。
 これって幸せだよね。
と、再確認してしまった。

 
 失って初めてわかるものじゃなくて
幸せのただ中にいる幸せ・・・
 を噛みしめないと・・・

 と、思う・・・今日この頃です。




神権の鍵
 教義と聖約110章に様々な昔の預言者がジョセフに現れて
「神権の鍵」がジョセフ・スミスに渡されたことが書かれています。

 110章の「神権の鍵」は今でも歴代の大管長に引き継がれて
いて、今でも大管長が保持しています。

 「神権の鍵」は大管長を長とした教会の神権組織に
その責任と任務よって、その一部が分け与えられています。
 
 一つの例をあげれば、ワード(わかりやすく言うと支部)に
はその管理者としてビショブ(支部長)が召されています。
 ビショップはワードのすべての神権の鍵を保持しています。

 私は、2〜3年神権の鍵とは何なんだろうと考えてきました。

 大きな意味では、主から任されている召し、役職に伴うすべて
の責任や義務や決定権を持つということになります。

 今日、気づきました。
 神権の鍵を持つということを、日常的な意味でとらえると
 
 1 何か起こる問題に対して、主の名によって動くことを指す。
 
 2 ワードであるならば神権役員会の中で発言が出来る権利である
又は、その会議に出席出来る権利であると気づきました。
 

 発言や出席する・・・ということの陰には、まず自分に管理を任されて
いる組織に何か問題があるならば、まず自らが主の代理人
として面接したり問題解決のために動いたりすることが出来きます。

 その上で、問題が解決されないならばより上の神権組織に相談や
その事の提案をすることが出来ます。

 教会の組織に置いて、責任の上下の区別はないと教えられています。
なぜなら、人に奉仕するのが目的であり人が自立するために
かかわるからです。

 幾ら有能な人でも、神権の鍵を渡されていなければ神権役員会には
出席することはできず、もし出席することが出来たとしても
それは、ビショップが一時的にゲストスピーカーとして招待するです。

  すべての決定権は、ワードならばビショップにあり、大祭司ならぱ
ワードのことではグルーブリーダーであり。(大祭司はステークのステ
ーク会長が鍵を持つ) 長老定員会は長老定員会会長が持つ。

 
 

 
 
 



2015,4.7 信仰
 信仰は・・・窮地に立った時に・・・それを実行できるか?
なんだろうな・・・。

 日々の平穏とした満ち足りた生活の時に信仰を
育てることも・・・大切ですが・・・。

 人の知恵で万策尽きて、もうどうすることも出来ないと思う
時にでも主の助けを信じて主の戒めを守りとおす。

 この世と信仰の板挟みになって。。。
心が動揺しても。。。。神様は生きていて、助けてくれると信じ続ける。

 正直な話・・・自分でも・・・
この状況下で出来るの?
 と、何度も自問自答する・・・。

 もし、出来ないのならば・・・。
また、悔い改めをして一からはじめるばいい。

 そのための主イエスキリストの贖いである。

 まずは、イエスキリストへの信仰を絶やさない。 

 

 



幸せ・・・は続く
 2015.4.15 

最近ですね。

 家族を持つと・・・家族団らんの幸せを感じますよね。
些細な会話でも、親密な会話でも、昔話でも・・・
 「うんうん」なんてうなずいて笑 ったり
悲しんだり、時には怒ったり。

 でも、そうやって他人同士が似た者同士になってい
くんだな。と、ふと思ったのです。

 そして、これって・・・普通に結婚した夫婦ならば誰でも
なる自然な状態なのですが・・・。


 ふと死んだら・・・この幸せも終わりなんだと思った
とたんに悲しくなっちゃってね。

 私が知る限りたいていのキリスト教の結婚式の
神父さん牧師さんの誓いの言葉では「死が二人を
分かつまで・・・」言って結婚の誓いをします。


 でも、この教会の結婚は永遠を約束されます。
そんなことを思い出した ら・・・今の幸せがずゅー
と続くんだと思ったらちょっと元気が出てきました。

 



人を赦すこと・・・は難しいですね。
    2015.4,17

 嫌な事は教会でも起こるし、されもするし・・・
決して教会はパラダイスではありません。


 だって、不完全な人が集って管理しているの
です から・・・。
でもね。

 その人も・・・主イエスキリストを信じていて
良いことをしょうとして苦いアドバイスをしてるのかも
しれない。

 もしかすると、何気なく・・・
もしかすると。不注意からしているかもれない。
 もっと悪くいうと・・・
故意にしているかもしれない・・・。

でも・・・ね。
主は「恨むことなく、赦しなさい」と言われている。


私は・・・
「時々、そんなこと出来ないよ。と駄々をこねる」
するとね。
「じゃ、今は忘れなさい。赦すことが出来る時まで・・・
 心が落ち着くまで・・・。すべて、私が見守っています」

 と、言 われている気がしました。



聖典を読むのは?
 2015,4,19 


毎日毎日・・・聖典を読んでいます。

でも・・・ね。
 読んでいるからと言って
 真実を話すと
毎日何かに感動しているわけではありません。

ただ、活字を目で追って。。。今日の読む分が
終わったので終わり。
 て・・・言う日がとても多いです。

 もちろん。
時々、読んでいると閃きみたいなものが
心に下ることがあります。
 
 そうゆう時、少し読むのをとめて
深く考えてみたりします。

 毎日、読んでいるから出くわす瞬間。

 今の自分に必要なことだったり
疑問の解決だったりと・・・
 不思議です。

 心の中ではもっと深く理解出来ないのかな?
と、思うのですが・・・。
 自分の能力を考えると・・・この程度だな。
なぜか納得してしまうのです。

 でも、大切なのは・・・
最後まで耐え忍ぶこと・・・
 この教会から離れないこと・・・
そうすれば、主は約束を守ってくれます。
 





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