気まぐれ日記 その13

祈り
 祈りに主の力があると主が言われるのならば
なぜもっと祈りに頼らないのか?
祈りの段階・・・。
 2012.11.15

 祈りの段階・・・。

自分の願いことを叶えてもらう祈り。

人の幸せを願う祈り。

神様の御心を知り、それが行なわれますようにと
願う祈り。
 
御心に、自分が従えますように・・・
 
 
 祈りをして、良い気持ちに導かれたそれで答えです。
 2012,12,5 


 今のあなたは幸せ探しをした方がいいかもね。
つらい事ばかりに、目がいってるし・・・。
 事実、つらい事ばかりなんだろうけど・・・。
でも、そればかりを見ていると何も見えなくなるよ。

 祈りをして、良い気持ちに導かれたそれで
答えです。

 何をしなさいって、具体的に示されなくても
自分が明るくなれればそれは導きですよ。

 一歩一歩・・・歩むしかないですよ。
聖典読んで、主の約束を思い出して・・・
祈って聖霊を感じる。

最後は祈りかな? 
2012,12,5

 総理大臣の決断でこの世では年末の選挙となりました。
ニュースでは、政党や先生方の動きが日々刻々と伝えられます。 
 当選するのと、しないとでは・・・雲泥の開きがあるという。

 そんなことを考えながら、青空を見上げていたら・・・頭の中に元総理大臣「宮沢喜一さん」の笑顔が浮かんできた。
 ずいぶん懐かしいな、と思いつつある話を思い出した。(私の記憶違いでなければいいのですが)

 彼が亡くなる数時間前に、次の選挙の表読みをして・・・誰が残り、誰が危ないか指折り考えていたそうです。
 この世の最後の時まで自分の生涯をかけた場所の気遣いをしていたそうです。
 しばらく・・・彼はどんな気持ちでそれをしていたのだろう? 
と、青空を見上げていると・・・はて、その時が来たときに自分は何をするだろう? 
 ふと、心によぎった。
 
今、元気よく「さようなら」と、目の前で小学生たちが別れて曲がり角を曲がった。
 去る自分がいて、老いるなんてことを考えない小学生たちの後姿を見送りながら・・・。

呆然と立つ自分のなかで、きっと「お祈り」をしているよ。と囁く自分がいた。
 はじめは恐る恐る人生を振り返って芥子(けし)粒みたいな小さな罪から大きな罪まで神様ごめんなさいとこの世での最後の「悔い改め」をするだろうな。それから、人生の危機の時に何度も助けられた事を感謝して、生涯なんとかイエス様を忘れずにいられた事に感謝して、祈りをするたびに暖かい気持ちを感じ主が近くにいてくれたことに感謝することでしょう。その気持ちを感じ続けながら祈りと冥想を繰り返す。 そんな最後の時が送れればいいですね。     
 理解出来ない人には、愚かな話しだと思うだろう。
  2012.12.16

 イエスが十字架に架かる絵のしたに
添えられていた聖句・・・

「父よ、彼らをおゆるしください。
   彼らは何をしているのか、
       わからずにいるのです」
              ルカ23:34
 
 霊的な思いのイエス。 救いの計画というすべての人が
歩まなければいけない道を知っているイエス。
 その道に導こうとしているのに、迷い信じようとしない
頑なな人々にも愛を示そうとしているイエスの姿。
 
 同じ立場になったら・・・と、ふと思うと思うだけ
イエスの偉大や愛の深さが見えてくる。
 
 理解出来ない人には、愚かな話しだと思うだろう。
 モーゼが十戒を頂くまでの経緯 
 2012.12.19

 出エジプト19:1〜16
    神様はメルキゼデク神権(大神権)をモーセの率いる民に授けようと
   していた。

 出エジプト32:1〜20
    モーゼがシナイ山に登り、神様と一度目の会見をしている時に、
  メルキゼデク神権にかかわる掟が書かれて石版を受け取った。

   その時に、モーゼの民は・・・
  「モーゼの帰りが遅いので、モーゼの身に何かあったのだと判断して、
 アロンに頼み目に見える神の形である金の子牛の像(偶像)を作った。」

   それを見たモーゼは、石版を砕いた。

 出エジプト32:21〜29
    モーゼは、偶像を壊し、石版を壊したのちにひときは悪い人々(
   先導した人々)をレビの子供たちによって殺させた。 

 出エジプト19:7〜15
    モーゼは民に、心と思いを聖めるようにと長老たちを通して戒めを
   与えられた。

  出エジプト34:1〜4
    主からモーゼは以前のように石版を作りシナイ山に登るように指示しれた。


 出エジプト32:30〜35
    次の日、モーゼはが二度目に神様に会うためにシナイ山に登り
   神様と会見した。 民の罪が赦されるようにと願った。

 出エジプト34:4〜28
   そして、一度目の会見の時に頂いた、メルキゼデク神権の掟の書かれた
   石版をもう一度頂けるように願った。
     しかし、それは、アロン神権(小神権)にかかる掟が書かれてあった。

 出エジプト19:16〜25
    モーゼが山に登り、三日目の朝になって、神様と会いもう一度石版を
   頂いたが・・・それは、アロン神権(小神権)にかかる掟が書かれてあった。

 出エジプト20:1〜 
     石版には十戒が書かれてあった。
    これは、アロン神権で守るべき掟であった。

 出エジプト34:28〜34
     シナイ山の下山してから民に会う。

   (この解説は、匿名希のメモのために作成しました。基本の教えは
   末日聖徒の教えであるがここでの解説と文言においては匿名希の
   メモでありますので参考程度にしてください )  
気づきますょ。
2012,12,22

 すべては主のみ心のまま・・・
時々、従いたくない事もありますが・・・
でも、主を信じて近付いてみましょう。
 振り返った時に
ぬかるみの泥んこの道も
一人で歩いたと思っていても
 おそらく、主が私を背負ってくださっていたと
気づきますょ。
 
神殿とスカート
 2012.12.25

昨日奥様が・・・出かける時に・・・一言。
 
 教会の行事だから、スカートでいかなくちゃ。
 
と、ぽろりい言い・・・ジャンパースカートを着てきました。
 
 二世だから教会がちゃんと身についてるんだなと
感心しました。
 
ある姉妹が言ってました。 
神殿も、最近はパンツスタイルで来ても
あまりとやかく言わなくなったと・・・。
 
 10年くらい前までは、パンツで来た姉妹には
神殿の方で巻きスカートを貸してまでもスカートに
こだわっていたと言ってました。
 
 多様化と言われれば、それまでですが・・・。
 
 お客様(?)の気分を損ねて、神殿を躊躇うことになりは
しないかという配慮なんでしょうか?。
 
 集う人の方はそうわ思わなくても・・・
「別にいいじゃないの」という言葉と思いの裏側には
本当に小さな小さな高慢という心が芽生えているような
気がしてきました。

 
 (この文章を書き送った姉妹から・・・
  最近の出来事として、パンツスタイルで神殿に
参入しょうとしたら断れた人がいました。と教えてくれました。
 私は男なのでそのへんの事情はよくわかりませんが・・・
 私が教えてもらった基本は、教会に行く時はスポーツ行事など
の時以外はスカートが基本でありますとの事です。 
 女性は女性らしく・・・男性は男性らしく。。。)
成長するって・・・どうゆうこと
 2012.1.13

昨日ね。
昨年成長したことがありますか?
って長老定員会の人に質問したんです。

すると、宣教師が一番に
 「日本語です・・」とってくれてね。

 そして、なぜだか・・・黒板に・・・
あることを学んで、使えるようになったとか、
それを応用できるようになったとか・・・
 が成長した目安です。

と書いたんです。

 灯台元暗し〜みたいな感覚で「成長するって、
そうゆうことか」と自分が何気なく書いた言葉にビックリ。

 宣教師の日本語は、この意味では明快でしたね。
日本来る前は・・・ほとんど、話せなかった人たちが
 電話でちゃんと受け答えして説明出来るまで
成長してるのですからね。

偶然
 2012,1,30


  今まで大きな奇跡をたくさん見てきたから・・・
最近やっと、日常の偶然だと言われるような
小さな事も奇跡だと思える
ようになってきました。
 神様にとって、事の大小関係ない・・
・私たちが主にあっての幸せを
感じられるように見守っていくれている。


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