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2012.9.27
今朝起きて・・・、夢うつつの頭でのなかに・・・
ベンジャミン王の話が出てきてね。
もしかして、人生ではじめて・・・聖典を読んでいるとき以外に
ポンと思い浮かんだと思う。
彼の話を聞いていた人々が「心の中に大きな変化」という状態は
どうゆうのかな? モーサヤ5:2−3
と、ふと思ったのですが・・・
よく考えててみたら・・・特別なことではなく・・・聖霊を受けて
良い気持ちになったといことなんですね。
心の中から、悪いものが一層されると主に従いという気持ちだけが
強くなる・・・そんな気持ち・・・。
教会員でない人に説明する時は「感動した。心が動いた」という
瞬間と説明したほうがわかりやすいかも・・・。
聖霊を感じて心を新たにする・・・時が罪が取り去れる時なのかも
しれないね。
今なら主に会っても大丈夫という思いを感じるから・・・。
では。。。
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2012.9.28
先日・・・こんな話を聞いた。
東京の方では、「40日間リレー断食」をしているとのこと・・・。
毎日、誰かが・・・代わり番こに一人づつ断食をする。
と、言うものらしい・・・。
(人づてに聞いたのでどこまで正確なのかはわかりません)
聴いた瞬間・・・「効果があるの?」とすぐさま心に浮かんだ。
とても、素直な感想なのですが・・・
その発想の源は・・・猜疑心とでもいうのでしょうか・・・
人間的な弱さとでもいうのでしょうか?
まぁ、普段ならばそこで思考は終わりなのですが・・・
その日は、別の思いが浮かんできた。
「・・・神から祝福を受けるときには、、それが基づく律法に
従うことによる。」
教義と聖約130:21又教義と聖約132:5
断食すること・・・は主の律法。
その断食を40日間し続けるという聖約をある人が主である
神に祈り中で提案して、みたまを感じることで了承受けて
実行しているのだと気づきました。
聖約(約束)を主と交わしてそれを行なうことが出来ると
知りました。
積極的な戒めの守り方ですね。
そして、もう一つ・・・
自分がどんな些細な戒めや律法だと思っても・・・
戒めや律法には順序がなく、大切なのはそれを守る
かどうかを主は見ているということ・・・・
参照聖句 アブラハム書3:25
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2012,10,1
「・・・肉の思いは、悪魔の霊に力を
与え、あなたがたを捕らえて地獄に落とし、悪魔は
彼自身の王国であなたがたを支配するであろう。」
(2ニーファイ2章29節)
匿名希の解説・・・。
「・・・{人の}肉の思いは、悪魔の霊に{元気を与え}
{ますます悪知恵を働かせて}あなたがたを捕らえて
{次の世では}地獄に落とし、{この世にあってはあなたを}
悪魔は彼自身の{領域にひきいれて}あなたがたを支配
するであろう。」
(2ニーファイ2章29節)
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2012.10.21
あなたは‥‥どうしてそんなに強いの?
信仰が強いってことかな?
そんな事ないです。
いつも、迷路のなかをさまよっているようなもの。
山って・・・遠くからみてると山だけど
近くに近寄っていくと、ただの坂の連続でしかないのですね。
山のなかにはいると、山の存在を忘れるだよね。
そこは、苦しい上り坂の連続でしかない。
頂上について見渡した時に「あ。山だ」ってまた認識する。
近付き過ぎると、大きすぎて見えなくなり目の前の
問題しかみえなくなる。
そして、それに振り回されて初心を忘れる。
わたしの場合は信仰もそんな感じかな・・・。
だから、聖典を読んで祈って・・・
イエス・キリストが私たちの救い主だと言う初心の証を
忘れないようにしないといけないと思う。
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名前を思い出すこと・・・たったそれだけですが・・・ |
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2012.11.4
今日の、証会での証の話し。
今朝、神権会に永遠の求道者の方が3年ぶりくらいに来られて・・・
(もう、30年まえから教会に時々来ています。)
挨拶をして、少し世間話をしました。
その時に、どうしても名前が思い出せなくてね。
「困ったな」と内心思ってました。
まぁ、名前はわからなくても会話は弾んだのですが・・・
でも、「神様、名前はなんでしたっけ?」 と、問いかけ
しばらく思い出していたんです。
そして、全体集会が終わり、分級となり・・・教室に向かうために
席を立った時に・・・
ぽっと、その人の名前が浮かんできました。
「あ、そうか・・・加藤さんだ(仮名)」
と、言う事を思い出しました。
ここで、普通の人ならば「偶然よかった」で終わる話ですが
こんな小さな事でも、主の助けに感謝しました。
主にあって人を助けることは、人の目から見て大きな事も
小さな事も同じことなんですね。
大きなこと、小さなことと区別するのは人がすること・・・。
主にとって大切なのは、どのようなことであっても主の命令を
み心を、人が行なうかどうかということ・・・。
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2012.11.5
だれでも、自分の気持ちと神様の思いが違う時に
戸惑いを感じます。
それは、仕方のない事だと思います。
その時に、それでも神様の思いに従える人は
生まれながらの人でない証拠です。
(生まれながらの人 聖句ガイドp46 1コリント2:14参照)
言いかえれば、イエス・キリストを信頼している人です。
生まれながらの人、頑な人は・・・自分の考えを優先します。
私も・・・その一人です。
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聖句たちがある原則に気づくとキラキラと輝くだす瞬間を感じたことがないでしょうか。
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2012.11.4
読み過ごしてしまう聖句たちがある原則に気づくとキラキラと
輝くだす瞬間を感じたことがないでしょうか。
ニーファイ人の完全な滅亡する情景を描いたモルモン書6章
を読んでいて、なぜレーマン人が滅ぼされないのかと?と疑問に思った。
しばらく、考えていると・・・ある聖句が浮かんできた。
モルモンの時代から1000年も前にアメリカ大陸に渡って来た
リーハイが死の間際にレーマン人となった彼らの遙か昔の祖父
レーマンとレムエルの息子たちに語った預言の言葉を・・・。
祝福の言葉数は少ないですがレーマン人に語ったあとの最後に
「・・・あなたがた(レーマン人になった子孫)はことごとく滅ぼされて
しまうことなく、あなたがたは、最後に祝福されるであろう」 (2ne4:9)
レーマン人は記録を持っていないので、このリーハイの預言を覚え
ていなかったであろう。
しかし、主は(または主の僕をと通して)ご自身が約束されたことを、
決して忘れない。
そして、ふさわしい時がくれば実行されることを約束しています。
(DC1:37−8)
ですから、レーマン人は主を信じてはいないですがリーハイを通し
て与えられた神様の預言があるので滅ぼされることがない事を知
った経験をした。
この経験で思い浮かんだ聖句たちは、普段ならば読み過ごしてし
まう聖句ですが・・・
この時ばかりは、見つけるたびにページの中でキラキラと輝いてい
るように感じました。
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2012.11.4
建設現場のゲートの鍵はほとんどがダイヤルロック式。
その理由は簡単だ、朝一番でついた職人が誰でも入れるようにするためです。
ある時に、なにかの理由で朝一番でそのゲートの前に来た事がありました。
いつもは、もう開いているゲートを入るだけだからなんの問題もなく通るのですが・・・
その日は、ゲートの前についてハッと気づいた。
鍵の番号を知らない。
と、言うことは・・・入れない。
とりあえず、適当にダイヤルを回すも・・・開く気配もない。
ふーと溜息。
早く出てきたのに、やるべき事ができない苛立たしさに心は変わっていた。
気を取り戻して、ダイヤルを並べ替えてみる。
でも、やはりダメ。
そうなってくると、「鍵なんてなんであるのだ」と愚問を自分に投げかけてしまう。
そうこうしているうちに、いつもの一番の乗りの人が来て・・・一瞬にして開けてしまった。
たった10分くらいのロスタイムだったが、苦い思いをした出来事でした。
逆を返せば、こんな小さな鍵も確かに大切なモノを守っていると感じる一瞬でもある。
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2012.11.11
戒めを守る時に 「物質的な祝福と霊的な祝福」
があることをわかってほしい。
・物質的な祝福・・・目に見えること。 病気から体が回復した。
ほしい物が手に入った。
結局、当たり前だと思ってしまうことが多いですよね。
・霊的な祝福 ・・・目に見えないこと。
ある経験をして信仰が芽生え深まり、神様に従いと
思う気持ちを深めること
よく私は、ある物や良い結果が欲しくて一生懸命に
お祈りして、一生懸命にそのために働いて・・・
その結果、その物や結果を手に入れしました。
今、振り返ってその後の自分を見て見ると、欲しいモノ
を手入れるという物質的な祝福を得た事に満足して、
霊的な祝福はあまり考えてみることはありませんでした。
ようすると、そのことによって主への信仰を深めては
いませでした。
「欲しいものが手に入ってよかったね。神様ありがとう」
で終わってしまったのです。
霊的な祝福は、それによって神様に信仰を深めることで
あります。
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2012.11.15
「もう、気にしない」
気にしていると、主が導き出した道から後戻りして
サタンの誘惑に陥ります。
そこが、サタンの狙い目ですよ。
だから、
「もう、気にしない」なんです。
何人も見ています。
悔い改めて、もう主が赦しているのに
自分だけが「いや、まだまだ・・・」言って
赦された罪に執着して、思い悩んで
挙句の果てに教会を去った人。
だから、
「もう、気にしない」なんです。
「もう気にしない」は悔い改めの段階で言うと
「罪を捨てる」 なんです。
主は、赦されない罪以外のすべての罪を背負うと
約束されているのです。
主がされたことを信じ、後戻りしない事も
大切なんですよ。
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