気まぐれ日記 その11

人をさばくな
 2012,5,15 
 
 「人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」ルカによる福音書 / 6章 37節
 この聖句を読む度に「現実には・・・うーん」と心のどこかで引っかかるものがありました。

  そして、こんなお話を今回の総大会で聞きました。
ある女性が大きな通りを車で走っている時に、突然に前の車から冷凍された一匹の七面鳥がフロントガラスに向けて投げつけられてきた。 それは大きな石を投げつけられたようなものである。そして、その女性は不自由な生活を余儀なくされる後遺症の残る体となったのであります。
 この世的に考えれば、これからも楽しいはずの人生を滅茶苦茶にした彼を一生憎みながら暮らし、心もひねていくものであるが・・・その女性は違いました。 彼女は二十歳に満たない彼の事を一番に考えました。 彼が行なった罪のために彼の残りの人生の半分を刑務所暮らしになってしまったら、出所後の彼の人生を憂いて、彼の刑が軽くなるようにと動きはじめたのです。

  私なら不自由な体にした相手を赦す、なぜ、そんなことが出来るのだろうと、その話を聞いてからずゅーと心の中で私は考え込んでしまいました。

 その事が心からはなれずに2日くらいたった日のことでした。
突然、心の中に聖霊が「信仰・・・それも私たちが復活して再び生きるという信仰がなければ・・・出来ないこと」と話しかけてきました。 
その言葉にはっとさせられました。
 キリストがよみがえられたように、私も復活して、不死不滅の肉体をえて永遠に生きるという信仰を築いていくことが大切なんだと思いました。



毎日、夜のお祈りで。 
 2012.6.1

毎日、夜のお祈りで。    
「今日も一日無事に居られてありがとうございます。」       
 この何気ない一言が言える今日になんだか嬉しくなりました。
もし、怪我をして痛い思いをしていたら・・・
この言葉が言えるだろうか? 
 と、ふと思ってみたりします。
 痛みに耐えながら、この瞬間が早く過ぎ去るように祈ることでしょう。
 何にもなかったけど、それが幸せなんだと思う今日に感謝したいです



あなたは何のために教会に集いますか?
  2012.6.15


 あなたは何のために教会に集いますか?
長く集っていると、よくある「ニワトリが先か?タマゴが先か?」の状態に陥ってしまいます。
 ニワトリがいなければ・・・タマゴはないし。でも、タマゴからニワトリは生まれる。・・・と考えているうちは、まだよいのですが、だんだんどっちでもいいかとなって、ちょうどお腹がすいてきて、頭の中にフライドチキンっておいしいし、タマゴ焼きもおいしいという話になって・・・ニワトリとタマゴの言葉は残るけれども、まったく次元の違う話になってしまったりしてします。
 教会に集う理由も、最初はイエス・キリストを信じているからという理由で集うけれども、毎週のこととなると、友達がいて楽しいからとか、習慣になってしまったから集うとかいう話になっていませんか? 
 モルモン書のニーファイ書にはこんな言葉が書かれています。 
「わたしたちはキリストのことを話し、キリストのことを喜び、キリストのことを説教し、キリストのことを預言し、また、どこに罪の赦しを求めればよいかを、わたしたちの子孫に知らせるために、自分たちの預言したことを書き記すのである。」2ニーファイ25:26
 教会に集う理由をもう一度見つめ直す機会になりますように・・・。 



小鳥の夫婦
 2012.6.29


 ここ2〜3日、小鳥の夫婦が仕事をしている私の目の前を通り過ぎていくのです。最初は気にも留めなかったのですが、今日あることに気づいてしまったのです。きれいに積み上げられた木屑のゴミ山に、その小鳥の夫婦は巣を作っていたのです。
よーく、観察していると、くちばしに草や小枝をくわえては行ったり来たりしていたのです。そんな小鳥の夫婦を見ていたときに・・・私はあることに気づいたのです。
きれいに積み上げられているけれども、いらなくなった木屑だから2週間もすればゴミを処理する業者が引き取りに来て、焼却処分されてしまう品物。
 大きなゴミの山の未来を知っている私は、このまま巣を作っている小鳥の夫婦の未来もちょっと想像してみました。
 その夫婦とって、どう考えても幸福になれるようには思えない事実に少し悲しみを感じました。
 ですから、その夫婦がいない間に私は思い切ってその夫婦の巣の入り口を閉じてしまいました。
 しばらくするとその夫婦は小枝をくちばしについばんでやってきました。そして、巣の入り口から入れなくなっているので困惑した表情をして、あたり一面を羽ばたいていました。
 翌日、小鳥の夫婦はもう来なくなりました。
 なんだか、私は悪役みたいですが・・天父も私たち一人一人を見守っていて、主の道から外れそうになる時に「そこには行ってはいけない場所ですよ」と声を掛けたくなる思いを感じました



みたまに従ってなにか行なっても・・・
 2012.7.30


時々。 
みたまに従ってなにか行なっても・・・
何の変化も反応も無い時が
ありませんか?
 やって正解たったの?
 と、思う時があります。
 
 でも、そうゆう時はこのように思うことにしたのです。
きっと、誰かの心に種を植えたんだ。とか
時期がくれば、その人の心の中で理解してくれる。って・・・。
 
 そして、まったくそうゆうそぶりも感じられないときは・・・。
私は、主の御心を起こったのだから結果が見えなくても
主はそのことを喜んでくださっている。
 それだけで、嬉しく思うようにしょうと・・・。



人生・・・いろいろ 裁きは主がする
 2012.8.20


人生・・・色々・・・。
良かれと思ってしたことが、裏目にでて・・・一生忘れられないことになる
事もあります。
  忘れられないことだけならばいいのですが・・・
人間関係とお金とかケラの場合身体的な苦痛かな?
と色々と伴ってしまう事もありますから、複雑になるんですよね。
 日々思いつめると憤りや憎しみに変わり・・・恨みたくなります。
 
 人はそうゆう、過去を誰しも背負いながら生きていくのかもしれませんね。
 
 
 それでも、主は「人を裁くな。自分が裁かれないためである」(マタイ7:1)
といい・・・裁きは「主なるわたしは、すべての人をその行いに応じて、また
その心の望みに応じて裁くからである」(教義と聖約137:9)という。
 
主を信じ・・・救いの計画を信じて・・・わたしたちは永遠に行き続けるという
教えを信じるならば・・・。
 
 すべてを知っている、そしてすべての権威、権能、力を天父から授かっている
主イエス・キリストにゆだねることが出来るのではないでしょうか?
 
 その時々の祈りの答えとして・・・
「その事は忘れなさい。主である私が知っているから・・・。だから、忘れなさい。
 そうしないと、サタンが色々な思いをあなたの心に吹き込みますよ。
 そして、主である私があなたを守ります」



「しるしを見せれば信じる」という人はたくさんいる。
  2012.8.28 

「しるしを見せれば信じる」という人はたくさんいる。
でも、「しるし」は言い換えれば「奇跡」。
あなたが見せろと言った奇跡が目の前で繰り広げられたら・・・
きっと、こうゆうであろう。
 「偶然だよ」
と、言って驚いてみせるけれど・・・信じようとしない。



 しかし、信仰を持っている人・・・
熱心に主に祈り、答えられた奇跡を見て、また信仰を強めていく。

  主は、主を信じた人にたくさんの恵みと奇跡をお見せになる。

 しるし、奇跡は信じるためにあるのではなく
信仰の結果として現れるものである。



主は義人が悪人に殺されるのを許されるのか。
 2012.8.29

 今日の発見。
なぜ、主は義人が悪人に殺されるのを許されるのか。 
アルマ60:13 何度も読んで、知っている聖句だっけど・・・。
今日はじめて・・・心に入ってきました。  

 「悪人を裁くために・・・義人が殺される。 正しい人や何もし
ていない人が殺される」

 この世の人の感覚からみたら・・・おかしいと思うかもしれ
ませんね。 
 でも、アルマは死んでも来世があるという信仰があるからこそ、
復活して主の御許に行けるとことを知っているからこそ。 

 この言葉が言えたのですね。

  この世の人の感覚とキリストを信ずる人の感覚は・・・
少し違うのかもしれません。 

 なんの疑いもなく・・・心の中に入ってくる感覚は聖霊からの
答えの証。



神殿
 2012.8.29

神殿は、限られた人が入れる閉鎖された場所ではない。

神殿は、すべての人が入れるように願っている。

 ただ、聖約を守らない人が入った時に約束された祝福を

えられないから・・・

 聖約を守れない人を守るために、少しの戒めが

あるのです。




祝福と恵みに私が気づきますように・・・。
2012.9.18 

 昨日ね。
いつも、お祈りでね。
 主の恵みし祝福がありますよに・・・
ってお祈りしてるんだけど・・・・

ちょっとした経験からね。
 ふと、気付いた事がありました。
 恵みと祝福は、わたしの近くまで来ている・・・
または、もらっているのに・・・
それを気づかないのは私の責任じゃないかと
思ったのです。
 
 だから、「主の恵みと祝福を気づきますように・・・
感じられますように」
と、お祈りに追加しょうと思いました。
 
 結構・・・自分が気づかないだけで・・・
 助けられてると思う。
 





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