気まぐれ日記 その6

ニーファイの手入れた真鍮版の重要性

 2010年3月16日   ニーファイの手入れた真鍮版の重要性

 ニーファイとレーマン、レムエル、サム達が苦労して手にいれた真鍮版。
この神様のみ言葉が書かれた真鍮版がその後1000年にも及ぶニーファイ人の歴史と信仰の基となりました。
 「二人で(リーハイとニーファイ)イスラエルの神に感謝をささげてから、父リーハイは真鍮の版に刻まれた記録を手に取り、最初から調べてみた。 父が見ると、その中には、世界の創造とわたしたちの最初の先祖であるアダムとエバの話を載せたモーセの五書があった。また、世の初めからユダの王ゼデキヤの統治の初めに至るユダヤ人の記録もあり・・・」 (1ニーファイ5:10〜)
 と、ニーファイの手に入れた真鍮版は今の聖書にあたるものだとすぐにわかります。
 それから、およそ470年後(紀元前約130年)のベニヤミン王の時代にベニヤミンは彼の息子たちのモーサヤ、ヒローラム、ヒラマンに真鍮版の記録を教えた事が記されています。
 「また彼は、真鍮の版に刻まれた記録についても彼らに教え・・・。この版の助けがなければ、先祖リーハイは、これらの事柄をすべて思い出して子供たちに教えることなどできなかったであろう。」(モーサヤ1:3−4)

 ニーファイが真鍮版を手に入れたから510年後(紀元前役90年前)にはアンモンがラーモナイ王に伝道をする時にも真鍮の版からの記事を引用したことが書かれています。
 「さて、アンモンはこれらの言葉を述べてから、世界の創造とアダムの造られたことからはじまって、人の堕落に関する一切のことを告げ、また預言者たちが語ってきたことを、自分たちの先祖リーハイがエルサレムを去った当時に至るまで語り、その民の記録と聖文を王の前に置いた」 (アルマ18:36)

 ニーファイが真鍮版を取り入れてから約600年後(紀元一年)には
「ヒラマンの息子ニーファイは真鍮の版と・・・エルサレムを去って以来神聖に保存されてきたすべての品々に関する責任を、長男ニーファイにゆだねて・・・」      (3ニーファイ1:2)
 ニーファイが真鍮版を手に入れてから約1000年後(紀元385年)にニーファイ人とレーマン人の最後の戦いを前にしてモルモンが書き記した言葉に記されています。
 「・・・先祖から伝えられてきた神聖な記録をレーマン人の手に渡してはならないと主から命じられていたので・・・・わたしは託されたすべての記録をクモラの丘に隠した」(モルモン6:6)
ニーファイが真鍮版を取り入れてから約2400年後にジョセフ・スミスはクモラの丘で真鍮版を
目にする機会を与えられました。
 「わたしは土を取り除いて、てこを一本手に入れ、それをその石のへりの下に差し込んで、わずかな力でそれを持ち上げた。中をのぞき込むと、あの使者から言われたように、実際にそこに版と、ウリムとトンミムと、胸当てが見えた」          (ジョセフ・スミスの歴史1:52)

 エテル書を翻訳したモロナイは・・・、ニーファイが手に入れた真鍮版の内容を知っていたためにエテル書にこのように書き記しています。 
 「その版の記録の最初の部分には、世界の創造とアダムが造られたこと、そして大塔にいたるまでの話、それから大塔のときにまでに人の子らの中に起こったこが載っている・・・と思うので(そのことについては)書き記さない」                      (エテル1:3)
 ニーファイが手に入れた真鍮版は、多くの預言者に読まれそして預言者に従った人々の信仰の基になってきました。そして、今でも私たちに主なる神が誰なのか教えてくれている。そして、モルモン書はより明確に主なる神はイエス・キリストであると証しています。 




天上の大会議  (救いの計画) 

 2月8日 天上の大会議  (救いの計画) 

 先日、携帯電話を家に置き忘れてしまいました。
携帯電話を時計代わりに使っている私にとってとても痛い出来事でした。
 しかたがないので、このような時のためにと車に乗せてある腕時計を
はめて過ごしました。

 それも手巻き式の針がグルグルと動き回る品物。
 秒針が一回りすると、長針が1度進む、そして長針が一回りすると
短針が30度進む。
 普段、生活時間の遅刻や早すぎという時間を気にする事はあって
も・・・永遠という時間を意識する事はなかなかありません。
 その日一日、それぞれの針がそれぞれ役割で文字盤をグルグルと
回っている様子を見ていたら・・・。

 永遠という時間が心に入り込んできました。
 この針を逆に回せば心のなかでは・・・ジョセフ・スミスの時間にも繋
がり、モルモン書の時間にも繋がり、イエス・キリストや使徒の時間に
も繋がっていて、旧約聖書の時間も繋がっている。
 そして、未来に回せば・・・まだ、知らない自分の未来に繋がっていく。

 そんなことに思いをはせていたら、すべての霊の子供たちが集って
行なわれた天上の大会議にたどり着きました。  

 今まで、何度かその場面を映画の一コマのシーンとして考えることは
あっても・・・今生きている時間を過去に巻き戻して・・・一直線上に並べ
て考えたことが無かったのでとても新鮮に感じました。

 父なる神とその御子イエス・キリスト、そしてサタンとなったルシフェル
がいて私たちすべての霊たちがいる。
 この時間の過去へ延長したあの日、父なる神の提案を聞き、イエス・
キリストの意見を聞き、ルシフェルの意見を確かに聞いていた。 

 多くの霊が父なる神とイエス・キリストの提案である「救いの計画」に
聞き従い、聖書によれば三分の一の霊がサタンとなったルシフェルに
聞き従ったと記されている。
 肉体を持ち生きているということは私自身もあなたも父なる神の「救
いの計画」に聞き従った一人。

 全てのことは、地上に生まれる前に忘れ去られているが・・・確かに
手元の時計をグルグルと巻き戻した時間の延長上で行なわれた事実
として聖霊が私に証してくれていた。 

 未来を思えば、いつかイエス・キリストに会える事を楽しみにしています。



教会に入って・・・得したな〜と思う時。

 2010,1,31 教会に入って・・・得したな〜と思う時。

 教会に入って・・・得したな〜と思う時。
損したな〜と思う時・・・はどっちが多いか
考えてみました。

 もちろん、教会はいろいろと制約がある
ので時々・・・損したな〜。と思うことはあり
ます。

 でも・・・その時を通り越してしばらくすると
そのこと自体があまり価値が無い事だと
思うことがあります。

 どんな些細なモノでも、モノの価値という
のは、人が作るもの・・・決めるもの。

 損したな〜と思う時。
 永遠の時の流れを思い出すと・・・
何に価値を見出して生活すればいいのか
思い出します。

 それでも・・・たまには、衝動を抑えきれない
時があります。
 その時はやってから・・・素直に、神様に
謝っちゃいます。
 ちょっと、ズル賢いやり方かもしれませんが
・・・。

 でも、人生を振り返ると概ね得したと思える
人生を送っています。
 それは、主イエス・キリストに会えてよかった
信仰が持ててよかった・・という、思いでいっ
ぱいになります。

 
 



2010.1.16 モルモン書読み始めました

  2010.1.16 モルモン書読み始めました

 また・・・モルモン書を読みはじめました。
この本をいろいろと批判する方もいますが・・・。
このモルモン書が証しているのは・・・

 イエス・キリストが私たちの救い主であると
いうことだけ・・・。





 心の初詣

 2010.1.10 心の初詣

  新年おめでとうございます。
初詣・・・行きましたか?

 末日聖徒の初詣は・・・教会堂もしくは・・・神殿ですね。
神殿は東京、福岡にしかないので・・・地域によっては
なかなかすぐに行く事はできませんね。

 そんな時は出来れば教会堂のなかで、一人ひざま
ずいて祈ってみてはどうだろうか?

 私も時々、教会堂で一人ひざまづいて祈ってみることが
あります。
 
 心を空っぽにして、目の前の様々な出来事が邪魔を
して、出来ないと思っていることを・・・取っ払って
夢や希望、理想を語ってみる。

 「そんなこと出来ないよ。」
と、囁く自分が心の隅に居たっていいじゃいの・・・。
それが、現実なんだから・・・。

 でも、主イエス・キリストを信じる信仰を強く持ち
主イエス・キリストが「良し」とされれば必ず自体は
好転すると思う気持ちを持つことにしています。

 みたま、聖霊の力を感じたら味わってみる。
それだけで、幸せを感じるのです。
 そして、それが証なんだと思う瞬間でした。

 今、住んでいる場所がどこであろうと・・・
祈りを通して、主に近づきそして交わってください。
 それが、心の初詣だと思いますよ。 



2009.12.28 見えなけれども・・・ 

 2009.12.28 見えなけれども・・・ 


 見えなけれども・・・ 
主イエス・キリストは生きています。
そして、私を導いています。

 祈りの答えも声として聞こえないけれども・・・
振りかって思いだすと
なくてはならないモノはすべて受け取ってきました。
 
 



2009.12.16 聖霊を感じないのは・・・。

 2009.12.16 聖霊を感じないのは・・・。

 聖霊を感じないのは
 あなたの心に、
 すでに「心配」とか「不安」とか「プライド」
 という思いで満たされているからです。

 お祈りのはじめに
 それらが取り去られるように、忘れられるように
 主に願いましょう。

 多くの場合
 一度、心を空っぽにしないしと
 新しい思いは入ってきません。

 心の雰囲気がちょっとでも変わったら
 それは聖霊が影響を与えている証拠です。
 




 2009,12,10 「お祈り」のなかだけは

 2009,12,10 「お祈り」のなかだけは


 残念ながら私も・・・
  不安になったり
   二の足を踏んだり
    躊躇したり
     出来ないと思ったり

 信仰の二文字がどこかに
吹き飛んでしまう事があります。

 イエス・キリストのようにはいかない
もんだなとつくづく思います。

 でも、めげてばかりいてもしかた
ないと思い、何かいい方法は
ないかと思っていたやさき・・・。

 「お祈り」のなかだけは
すべてのネガティブな考えは捨てようと
決心しました。

 口に出した事は全てそうなると信じよう。
そして、夢や希望を語ろう。
 と・・・。

 目を開いた時に不安がドッと押し寄せて
きても・・・それはそれ・・・現実を受け止めよう。
と・・・。

 そんな日々を送って、3週間くらいに
なるでしょうか。
 
 お祈りをしている時間はより主イエス・キリストを
身近に感じられるようになりました。
 
 



2009.12,4 神殿と方位磁石 

 2009.12,4 神殿と方位磁石 

 先日・・・車で東京神殿に行きました。
最近は電車で行くばかりだったので
ちょっと、不安だったが・・・何とか12時30分の
セッションにたどり着きました。

 その帰り道のこと。
都内の道は、田舎者私とって迷路のようなもの
地図と睨めっこしながらの運転。
 時々、自分がどっちの方向に走っているのか
わからなくなる事がありました。
 「○×通り」というのは確かに書いてあるの
ですが・・・今、どっちに向かって走っているのか
さっぱりわからないのです。

 そうゆうこともあろうと、買った方位磁石。
・・・を取り出して、信号の赤の時に確認。
 すると、すぐに自分の位置と向かっている
方角がわかりました。

 それまでは、よかったのです。

 でも、一つ気になった事があったのです。
方位磁石の指す北と自分の感覚の北が90度
くらいズレていることがあるのです。

 その時、疑ったのは事もあろうに・・・自分の
感覚ではなく、方位磁石だったのです。
 「もしかしてこれって、壊れてる?」

 家に帰って、自宅にあるもう一つの方位磁石で
確認をしたらどちらも同じ方向を指していました。

 そして、二つの方位磁石を見ながら・・・
自分は自然の偉大な真理「方位磁石はいつ
でも北を指す」に反抗しょうとしていた
ことに気づかされました。

 自分の感覚の方が正しい。自分の学んできた
事の方が正しいと・・・思い込むことが間違って
いたと認識できた。

 そして、二つの方位磁石は聖書とモルモン書
どちらもイエス・キリストについて証している書物。
 この世の人生という道をある時に人を神様
の道に戻し、神様の御心を知らせて、神様の
御許に戻れる方法を知らせてくれる書物。

 この二つの方位磁石である聖書とモルモン書
があることによってすべての人に、読み間違える
ことのない神様の御心を知る事ができる。

 



2009.12.01 聖霊の囁きが聞こえるのは・・・頭か?心か?

  2009.12.01 聖霊の囁きが聞こえるのは・・・頭か?心か?

 真実かどうか・・・考えてみた。
頭の中でパズルのように、聖典から
の情報を組み立ててみた。
 
 考えれば考えるほど・・・
どれだけ、考えても
 答えなんか出てこない。

 真実・・・? 
 嘘・・・?

 考え疲れて、溜息ついて
「ふと、こんなことして何になるんだろう?
 イエス様・・・」
 と、心の中で問いかけていた。

 急に・・・心に沁み込んでくる思いが
わいてきた。
 「それは真実です。」
 そして、目頭が熱くなり・・・
知らず知らずのうちに涙が一滴(ひとしずく)
頬をぬらした。

 心に響く思いやイメージや声・・・は
聖霊の囁きなのです。

 (モルモン書のモロナイ書10章4−5節)










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