気まぐれ日記 その3

2009.8.18 素直に受け入れる気持ち

 今、ある幸せを素直に受け入れる気持ちが大切ですよ。 

信仰も同じ。 

最初から、すべてよしなんてことはあり得ないし・・・ 

一生懸命やってもいつまでたっても、 

心や思いの不完全なところが見えてくるし 

だったら、どこの位置に立っていても同じ・・・。 

大切なのは「どこに向かっていくのか」という 

方向が大切なんでよね。 

それが、「神様に向かって歩んでいる」ということ 

だったら、もう信仰の芽は心の中に育っていること 

になるんだよ。 



2009.8.12 サマリアの女とイエスの会話から 
 サマリアの女とイエスの会話から 
             (ヨハネ4章25 26節)


女はイエスに言った。

「わたしは、キリストと呼ばれるメシアがこられることを
知っています。そのかたがこられたならば、わたしたち
に、いっさいのことを知らせて下さるでしょう。」

イエスは女に言われた

「あなたと話をしているこのわたしが、それである」

 



2009.8.11 打ち砕かれた心 と 悔いる霊
 打ち砕かれた心 と 悔いる霊



 「あなたがたは打ち砕かれた心と悔いる霊を、犠牲として
わたしにささげなさい。」
           (モルモン書 3ニーファイ9章20節)

 そもそも、「打ち砕かれた心」とはなんなんだろうと?
と、とても不思議に思っていました。
あまり普通の生活の中では使われない言葉ですから・・・



聖句ガイド(p45)には、解説はかかれていますが・・・
今ひとつ、心の中でピンとこないまま・・・。

 
先日、ホームティーチングをしてる時に、この話題がのぼり
教えてもらいました。


もともとの英語の意味には・・・

フタをしていない瓶に、どんどん水を注ぐ・・・状態をも
あるとのこと・・・。
「いくらでも水が入る」ということを表現してる言葉のようです。


そして、もう少し日本風にアレンジすると・・・
「乾いたスポンジに水がどんどん吸収される様子」だと
教えてもらいました。


そこで、鈍い頭の私でもピンときました。
教えられた真理が心の中に吸収されていくこと
福音が心の中にどんどん吸収されていく様まんですね。


よくある経験では・・・
聖霊が真理を語り、心が反応して、心が改まり、
そして、涙を流す。
私にも何度も何度もある経験です。

その状態をさしていたのですね。


心の中で疑いの心を持たず、知識や理論でこの気持ちを
こねくり回さないで素直に受け入れる時の状態。



モルモン書の聖句ガイドを見ると「悔いる霊」(p90)

を調べると参照の言葉に「打ち砕かれた心」(p45)と書い

てあるのでほとんど同義語として使われてるのでしょうね。






2009.8.8 リアホナの成功談を読む度に
  リアホナの成功談を読む度に

 以前は・・・このように思ってました。
 
 この日本だけでも会員10万人以上いる中で
 その中の5パーセント、5000人くらい人たちが
 この世での成功というモノを手につかんでも
 統計的に不思議ではない。

 その人たちの成功をピックアップして書けば
 幾らでも書けるよな〜。

 なんてね。

 
 でも、そんな事とは裏腹に
 以前から時々リアホナを読んでいて・・・
 感じるものがありました。
 
 リアホナの成功談を読んでいて、
 「そう、あるよね。 絶対に、ありだよね。」
 なんてね、素直にうなずいている自分がいるんです。

 振り返ってみると、一度や二度ではありません。
 自分で気付かなかっただけで度々感じるんですね。
 
 今月号のリアホナを読んでいて・・・
 はっきりとと気付きました。
 この同意を促す気持ち、そしてそれを受け入れた時の
 なんとも心地よう思い。
  その感覚は聖霊が
 「この人の経験、成功は主が介在して主の業がこの人に
 行われたからこのような結果がもたらされたんだです。」
 と証していたんです。

 そこで、私はそうだったのか・・・と、うなづきました。
 
 今まで、心のどこかで・・・成功談を読む度に
 妬み心や嫉妬心が沸き起こりました。
 
 しかし、主に頼り主を信頼して行う時に主は必ず
 何かしらの方法で助けて下さるということを
 証します。

 聖句の場所は忘れましたが・・・

 すべての道で主を信頼して、主の介在がある事を
 忘れない・・・。(ちよっと。。。違うかな?)

 
 
 







2009.8.6  祈りの目的


 祈りの目的は、

   神の御心を変えることではなく、

      神がわたしたちに与えようと

         すでに備えておられる祝福を



 自分のため、
   
   また人々のために得ることである。

     しかし、それを得るには

        求めなければならない。


(モルモン書 聖句ガイド 「祈り」の項より p40)

    管理人の解釈

  御心= 主が行われようとしている事。
      教会での責任や召し。
      聖霊の導きやささやき
      
 すでに備えておられる祝福 =

      主がその人に与えようと思われている祝福



2009.8.1 自分が出来る範囲を超えて祈り求める時に・・・

自分が出来る範囲を超えて祈り求める時に・・・

私は心のどこかに「ためらい」を感じていた。

  ためらい

  それは

  ・・・できるわけないか・・・ということ。

でも、まぁ祈っておこう。

「きっと、神様がなんとかしてくれる。」

と、思いながら・・・。

もちろん、この祈りに信仰がないというわけではない。



でも、主イエス・キリストに信仰をもって・・・

数十年もこのような祈りでいいのだろうか?

もう少し、信仰を深めてみたらどうだろう?

などと、ふと思う時・・・

見えていなかった自分の信仰の弱さがはっきりと見えた。



 「そこで、あなたがたに言うが、

    なんでも祈り求めることは、

       すでにかなえられたと信じなさい。」 
                   (マルコ11:24)


「すでにかなえられた」とは

今の自分には気の遠くなるような遙か彼方の思い、

そして・・・

何が何でもそこにたどり着かねば・・・。

そんな思いをこの言葉は私の心の中に吹き込んだ。



まずは、「すでにかなえられた」と思い込みから

はじめようと思います。

そのうちに、何か思い浮かぶ事そして知恵も

つくことでしょう。




2009.7.28  簡易!! 信仰の測定の仕方
  (簡易!! 信仰の測定の仕方)


 信仰とは何かと考えていたら・・・

 教えられている福音がどのくらい心の中に根付いたか・・・。

 言葉を変えて言えば心の中に浸透して

 自分の思いや考えにして行動しているか?。

 ということ・・・。




 では、それを測定する方法を考えつきました。

 それは、人が言葉にする思いや考え方や生き方を聞いたときに、

 「あれ?」と思う瞬間はないだろうか?
 
 それは自分が受け入れた福音との違和感を感じた瞬間であり

 本人は気付いてなくても・・・それを感じた人は

 ほんの少しでも信仰を育てていることになります。

 よりはっきりと「それって違う」と思うとすれば

 身につけた福音がより高い信仰に成長していることになります。




2009.7.23 もし、信仰が見えたら・・・
  もし、信仰が見えたら・・・


 昨日の夜・・・友達と話している時に。
こんな発言をしてしまった私・・・。
「信仰って目に見えないから、時々悩んじゃんだよね。」
 
 そして、友達が少し後に・・・

「頭にハートのマークみたいなモノが見えて、信仰がある時は
それが大きくなり、無くなると小さくなる。
 すると・・・。
 おー、今日のビショップ・・・信仰ねーなー。
 何かあったか?」

 となって、

「信用を失うよね〜。」

 となった。

 やっぱり、見えないほうがいいかな?
ということで、意見が一致した。

 

 彼らの信仰に応じて大きな奇跡としるしと不思議を行われる。
         (モルモン書の中の2ニーファイ26章13節抜粋)
 
 



2009.7.21 わたし(イエス・キリスト)に近づきなさい。

すなわち、わたし(イエス・キリスト)に近づきなさい。

そうすれば、わたしはあなたがたに近づこう。

熱心にわたしを求めなさい。

そうすれば、あなたがたはわたしを見いだすであろう。

たたきなさい。

そうはれば、開かれるであろう。

あなたがたがわたしの名によって父に求めるもので

あなたがたにとって必要なものは何でも、与えられるであろう。

また、もしあなたがたが自分にとって必要でないものを

求めるならばそれらはあなたがたの罪の宣告となる。

                 教義と聖約88章63−65節



2009,7,19 感謝の祈り
最近の祈りはお願いばかり・・・。
欲張りな自分が見え隠れ。 
 かなえられない。
なぜ、かなえてくれないの?
 と、問題をすりかえて・・・
神様が意地悪してるんだと
勝手に思い込み・・・。
 祈る事を忘れかけそうになった時
聖霊がささやいた・・・。

 「・・・与えられる祝福がなんであろうと、
あなたがたは御霊によって神に感謝を
しなければならない」
       教義と聖約 46章32節

 感謝?
そうだ・・・してないな・・・。
 手当たり次第・・・今、受けている祝福に
感謝だ。
 暖かい気持ちになりました。 





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