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2009.11.23 悪魔が使う最も狡猾な方法
祈りが主に届かない、自分は主から遠く離れ去っている
と感じていると時・・・囁かれる言葉。
悪魔が使う最も狡猾な方法は、わたしたち
はもはや祈るにふさわしくないと説得することです。
皆さんがだれであれ、何をしたにせよ。
常に祈ることができます。
(リヤホナ 2009.11 大会号 p45 ボイド.K.パッカー )
悪魔は祈るようにとは人に教えず、かえって祈っては
ならないと人に教える。 (モルモン書2ニーファイ32:8 )
そして、人には体調や感情のリズムがあるらしく
いくら祈っても祈っても、祈りの言葉に感情が入らない時
がある。
でも、そんな時でも主イエス・キリストは私たちの祈りを
聞いてくださってる。
忘れないで・・・。
幾日も続く雨を降らせる雲もその上には青空が
あるように・・・。
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2009.11.16 優先順位が違うじゃない。
「今日は時間があるから聖典読むよ」
と一言言ってから毎朝、聖典を読んでいる。
すると・・・
「それって、優先順位が違うんじゃない?」
と言い返された。
言われてみれば・・・違うような。
時間があるから読むのではなく。
時間を作ってでも読むべきだと
思い知らされた。
明日からはそうしょう。 |
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2009,11,12 ジェット気流 ハワイ・ホノルル旅行から |
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ジェット気流
先日・・・はじめて海外旅行に行きました。
行き先はハワイ・ホノルル。
10月だというのに、真夏の太陽と日差し。
まさに、常夏の島。
行きは夜間フライのため、窓の外は真っ暗。
帰りはバッチシ、窓の外を楽しめました。
初心者の者ですから・・・ついつい窓際の席
を取りたがります。
そんななか、離陸直後からずゅーと窓の外を
眺めていていると、おもしろい事に気づきました。
それはジェット気流です。
高度1万メートルあたりを西から東へ吹き抜ける風
地上から見たときには、高度から言えばエベレスト
のまだ遙か上空を吹き抜ける風など見えるはずも
なく。
でも、高度1万メートル上空からだと、雲の動きで
気流の動きを確認する事ができるのです。
そして、座席の前にあるテレビモニターで
フライトデータを時事刻々と映し出されるのを見ていると
行きは1,000キロ以上出ていたスピードも帰りは
800キロ程度しか出ていないことに気づきました。
フライト時間も2時間近く余分にかかります。
私はとても興味深く、飽きもせずに乗り込んでから
成田に着くまで窓の外を見つめていました。
そして、「主イエス・キリストも同じだな」と思いました。
確かに、主イエス・キリストは生きている。
しかし、その存在は普通の状態では見えない
感じない。
しかし、飛行機で高度1万メートル上空という
特殊な空間に連れて行かれるときに、確かにその
存在を確認出来るように、私たちも主の戒めを守り
罪という束縛から離れる時に主は祈りを通して、
そして奇跡という事柄を通して主の存在を知らせいる
のを肌で感じる事ができるのだと。
そして、私たちの教会には主から召されている
生ける預言者が存在している。
その人たちの証は私たちの心を高めてくれます。
目に見えないものかもしれない、しかし、私たちが
聖くなれば主は私たちに見させてくれるものがたくさん
ある事を証します。
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忙しく祈ると・・・
ここしばらく・・・
確かに、祈りはしていました。
でも、祈りの答えを聞く心が伴いませんでした。
ただ、慌しく祈り・・・何かをする。
余裕がない状態と言うのでしょうか?
確かに、聖霊からの答えを受けようと
いう気持ちは習慣からありました。
でも、気がそぞろで気持ちのうちで
出来ませんでした。
気分も思いも主から遠く離れていました。
何かに取り付かれているような思いがしたら
心から祈りをしてみましょう。
時間が許すならば、ゆっくり寝た後に
祈ってみましょう。
導きを受けるのには
心身ともにゆったりとした気持ちのなかで
祈るのが最良の方法ですね。
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友人は撮り鉄である。(電車の写真を撮る鉄道ファン)
休日は朝早くから、お目当ての車両の写真を撮る為に
どこまでも撮り歩く。
私も、何度か一緒に撮り歩いた事があるが・・・
列車が見えて目の前を通り過ぎるまでに
たったの3秒半から5秒もかからないだろう。
その間にシャッターを切り数枚の写真を撮る。
その為には努力を惜しまない。
そして、40才の半ばを回っても独り者でいます。
その理由を聞いたら時があります。
「朝早く、あるいは夜遅く。お目当ての列車があれば
いつでも飛んでいく。
時間のルーズさや交通費の出費・・・世帯を持ったら
出来なくなる。そして、列車や電車が好き。」
このようなことを言われた。
私は彼が大好きです。
そして、その情熱にいつも関心させられています。
追いかけている対象は違えども・・・
私はイエス・キリストを信じ・・・私の情熱をかけています。
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2009,10,27 私のピアノ と 息子のピアノ |
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私はピアノが弾けない。
「弾けたらいいな」と何度も思ったけど・・・
やっぱり、未だに弾けない。
下の息子は小学生の時に4年間
ピアノ教室に通った。
楽譜と鍵盤との睨めっこの日々が
続いた。
たどたどしい指がいつしか、
スムーズに一曲弾けるようになり
両方の手で弾いていた。
「弾けるようになる」という思いが
進歩の見えない日々の支えになった
ようだ・・・。
そして、中学生になって・・・
ピアノも卒業したが、吹奏楽に入った
そしてトロンボーンを任された。
入部初日から、もらった楽譜に目を
通してハミングしていた。
信仰も同じだと思った。
ただ、私のように何もしなければ
何の結果も得られない。
主イエス・キリストを信じてみよう。
そして、祈ってみよう。
ふらふらと頼りない道だとしても
毎日、毎日、来る日も来る日も
信仰を育てていけば・・・。
私たちがふり向く前から
主イエス・キリストは私たちを愛し続けて
いることが心でわかってきます。
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2009.10.15 なぜ、私の言葉は信じないのか? |
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よく・・・・私は罪があり過ぎるので神様の国
神様のみ側、昇栄は出来ないだろうと思うこと
があります。
それでも、主イエス・キリストを信じ聖典を読み
主に祈っています。
でも、最近祈り中で霊感を受けました。
「あなたは主イエス・キリストが救い主であり
贖い主である事を信じているのに・・・なぜ、
私の言葉は信じないのか?」
その言葉は、
「たといあなたの罪は緋のようであっても
雪のように白くなるのだ。
紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」
(イザヤ1書18節)
主イエス・キリストを信じてはいるが・・・
主の言葉は信じられない。
自分は例外だと思っている自分。
心の底からイザヤの言葉読み、信じようとする
時に主イエス・キリストが一歩歩み寄ってくれた。
私の罪も主は消し去ってくれるのだ。と
誰も罪のあるままでは、主の御許にはいけない。
だから、今まで生を受けた人は誰もいけない。
でも、主の言葉を信じ従う人だけが主は罪を贖って
くれるという事を知りました。
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あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。
詩篇37:5
大人になると、こんなことが
ああ、なんて難しいのだろう。
息子がまだ小さかった頃に
私を信頼して飛び込んで来て
くれたように・・・
私も主を信頼したい。
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2009.10.4 主は忠実な僕(しもべ)を通して働かれる |
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まだ、20歳だった頃・・・。
伝道に出ようといろいろと準備をしていた時に・・・。
ある霊的経験から「伝道には出ないほうがいい」
と勝手に思い込んでしまった事があります。
今から思えば・・・信じられないほど霊的な経験
だったのですが・・・霊的な経験不足からそして私の
無知から私はそれを畏れてしまったのですね。
話は、少しさかのぼって・・・この経験からさかのぼる
こと一年前に、私の友人が伝道に出る一月ほど前に
彼と会いました。
彼は別れ際に私に言いました。
「住所を教えてくれる?」
私は何も疑問に思わずに、ノートの端にスラスラと
書き破って彼に渡しました。
私は、伝道にでたらすぐに手紙が来ると期待したの
ですが、一月が過ぎても二月が過ぎもきませんでした。
そして、私は彼の存在を忘れていました。
それから、一年過ぎ・・・。
私が伝道を諦める大きな経験をして10日を過ぎた頃
だった頃だろうか?
ポストに彼からの手紙・・・。
何を今更とい気持ちと嬉しい気持ちが混ざり合ってい
ました。
その手紙を読んで愕然としました。
私が伝道を諦めようとした経験の顛末が書かれて
あって、そしてそれは主のみ業であると証が添えられて
いました。
遠い沖縄の地で、私はこの事を誰にも話していないので
人を通して彼に伝わる事は絶対にありえない状態で
彼はいい当てたのです。
主は一人一人の思いをご存知であり、そして人を通して
いろいろな業をされる事を知らされた経験でありました。
主に使われるものは、みたまを通して働かれるという
ことをイエス・キリストの御名によって証致しします。
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2009.9.29 主なるわたしが語ったことは・・・すべて成就する。 |
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私にとって信仰とは・・・
主イエス・キリストが約束されたことを疑わないこと。
言葉通りに信じるということ。
その裏づけとなる聖句は・・・
主なるわたしが語ったことは、わたしが語ったので
あって、わたしは言い逃れはしない。たとえ、天地が
過ぎ去っても、わたしの言葉は過ぎ去ることがなく、
すべて成就する。わたしの自身の声によろうと、わたし
の僕(しもべ)たちの声によろうと、それは同じである。
(教義と聖約1章38節)
「主なるわたしが語ったことは・・・すべて成就する。」
でも、時々私はこの言葉を忘れてしまう、そして、故意
に無視することもある。
培ってきた、経験してきた知識に頼り・・・主を信頼し
ないことが度々ある。
なんて強情なんだろう・・・そして、信仰が薄いのであろ
うと悲しく思うことがある。
「主なるわたしが語ったことは・・・すべて成就する。」
ペテロが水の上を歩いていた時に
「しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、
彼は叫んで「主よ、お助けください」と言った。」
マタイ14章30節
私の信仰では水の上は歩けないが・・・心境としては
ペテロと同じあろう。
問題にぶつかって、恐ろしくなって、そして、苦しくなって
やめたくなった。
その瞬間こそが信仰が揺らいだ、瞬間だ。
その時・・・主に頼る、主を信頼する時に支えられ、助けられ
信仰が強められる時。
また、今日から信仰を新たにして歩んでいこう。
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